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花いちもんめの歴史
2020年05月07日
こんにちは(^^)
今日は花いちもんめの歴史について書いていこうとおもいます
まずこの花いちもんめをやろうと提案したのは
私の母、現チーフの発言でした。
平成11年がこの花いちもんめのお掃除の歴史の始まりとなります。
その当時父は会社を辞め自営業をやりたいと一念発起。
子供が長男中1 次男小6 三男(私)小4年とこれからお金が掛かる時期でした。
最初、父は水道屋で独立するつもりでいたようです。
しかし母が「これからはお掃除を人にまかせる時代になる、だからハウスクリーニングなんてどう」
この一言からハウスクリーニング花いちもんめの歴史がスタートすることとなります。
その当時、世間にはパソコンが出始めの頃、ましてはスマホなんて存在もしていなかった時代です。
なので今のようにGoogle先生も存在していないのです。
お掃除の技術、知識も何もないところからのスタート。
この時代、一番お金になるものは【情報】でした。
とにかく情報が不足していたため今では考えられない様な値段で
情報が売り買いされていたのです。
今だったら
ハウスクリーニングを始めよう!!とおもったら情報が溢れかえっていますよね。
その当時は何も情報が無かった為父は700万円という考えられない様な
大金を出して(借金)〇〇起業家育成会と言う会でお掃除の基本を学ぶ事になります。
←これが悪夢の始まりとなります。
最初の話ではここに入ればお仕事の斡旋、技術の確保が約束されている話でしたが
終わってみれば残ったのは多額の借金、僅かなお掃除の知識のみでした。
お掃除屋で独立したはいいが仕事も無く、毎月の借金の返済は待ってくれない
そんな状態でした。
その当時小学生だった私も幼いながら大変なんだなと感じていました。
その起業家育成会からは黄色の単色のチラシが配布され、このチラシを巻いておけば仕事が入ってくるという事でした。
しかしそんな甘い話はありません。
皆様も考えてみてください。
20年前わけのわからないチラシが入ってきてお掃除をたのみますか?
そもそもその当時、まだ世間ではお掃除を業者に頼む事に関してかなりの抵抗がありました。
世間でハウスクリーニングを認知しているのはダスキンさんだけでした。
しかし愚直にチラシを手巻きし続けました。
そのうち何件かはチラシを見てお掃除の依頼をくださった方もいました。
しかしそんなものでは生活どころか借金の返済もままならない状況でした。
このままじゃ家族も潰れてしまうという事で
不本意ではありましたが、一般のお客様を対象にしたハウスクリーニングではなく
賃貸マンションの退去に伴う退去清掃の道に進む事になります。
この仕事は単価こそ安いものの仕事は豊富にありました。
しかし行く現場行く現場汚れていて家に帰るのが20時21時なんてこともザラにありました。
しかし生活の為にはやるしかありません。
このお仕事は例えば1Rの退去なら10000円弱
2LDK3LDKでも2〜3万円というような激安価格でした。
だからとにかく体を動かして物件をこなすしかない。
従業員を増やしてとにかく物件をこなしていく
こんな日々がおよそ10年間も続いていきます
そんなこんなで私(現社長)も18歳で高校を卒業をしてこの花いちもんめに就職する事に。
私も必死に毎日汚れたアパートの清掃をこなしていきました。
帰るのは早くて18時遅いと23時なんて日もありました。
お掃除って午前中はパキパキ体が動きます
しかし夕方になるにつれてどんどん体が動かなくなっていきます。
洗剤による体への負担もわかるレベルです。
これではいつになっても生活は良くなっていきません。
しかしここでも先見の明を持つ母は勝負に出ます。
その当時広告の王様だった《タウンページ》
これに全力を注ぐ事になります。
今ではほとんど誰も見てないであろうタウンページもこの当時は
なにか困った事があるとタウンページを見て業者を探すのが主流でした。
ここに全力投球したのです。
愛知県の全地域にどこの会社よりも大きい広告を載せる事をしたのです。
毎月タウンページにかけるお金は10万円程度
個人レベルでここまでかけている会社は他には無かったでしょう。
そんな余裕はもちろん無かったはずですが母は未来に投資したのでしょう。
これが今の花いちもんめを支えていると言っても過言ではありません。
この策によって新規の一般のお客様を獲得していきます。
しかしこの当時も退去清掃の仕事も平行してやっていました。
しかしこのままでは伸びない。そう一般のお客様にかけれる時間が無かったのです。
退去清掃は日程もキツキツで○日までに収めてください。との時間的拘束があったのです。
ここで当時毎月100万円前後は安定してあった退去清掃のお仕事をお断りする事となりました。
非常に難しい決断ではあったけれどこの決断があったからこそ今の花いちもんめがあるとも言えます。
この時期個人事業から法人化する事に
平成19年8月1日
株式会社花いちもんめ設立
花いちもんめの新たなスタートとなります。
完全に一般のお客様に向けたサービスを開始。
今までの仕事を捨てて新たな一般客を取りに行くのにシフトしていきます。
格好も掃除屋さんからハウスクリーニングへ
スリッパ持参、きれいな格好をしてお客様のお宅にお邪魔します。
そこで自作チラシを作成をしたり
ホームページを作成したりと個人のお客様をとれるように日々試行錯誤の毎日。
借金に追われていた時期もきつかったとは思うけどこの時期も相当苦しかったと思います。
個人のハウスクリーニング業者が一般のお客様を獲得するにはそれほどまでに大変な事だったのです。
なんとか一軒一軒お客様を確保していきます。
そしてそのお客様に満足して顧客様になっていただく為にスタッフも全員全力でお客様に対応していきます。
そんな想いもあってか徐々に顧客様を増やしていきます。
ここで獲得したお客様が今でも定期的にお掃除を頼んでくださる
花いちもんめの【核】となるお客様となっていきます。
それもこれもあの時退去清掃をきっぱりやめる事ができなかったら実現しなかったでしょう。
そんな中平成27年10月1日に私、児玉哲也が代表取締役社長に就任
当時27歳。
なぜそんな早く就任したかというと先代の社長、私の父が狭心症で入院。
この出来事が社長就任を早めた理由になりました。
しかしこの当時の私は仕事こそしっかりやっていたものの
経営なんてものも何も理解もしておらず
名ばかりの社長でした。
ここが花いちもんめの停滞を推し進める要因となってしまいました。
何も考えずにただ仕事だけをこなしていく毎日。
もちろん新規のお客様の数が減っていき徐々に売上も減少。
そんな毎日が数年続きなんの危機感も持ってなかった私でしたが
とある決算の会議にて
税理士から
なぜ売上が落ちたのか?
こう聞かれた時に私は内心ギクッとする思いでした。
私は私が原因でこの会社の売上が落ちていると気づいていたのです。
ここから税理士とある約束をする事に
【宣言と完了】です。
ここらか
ブログの開始
家事代行サービス発足
自作チラシの作成
ここから私の中で意識が代わり仕事に対する熱意もかわりました。
私自身社長としての力量はまだまだではありますが
私の中には大きな夢があります。
それは名古屋1のハウスクリーニング業者になること!!
この大きな夢に向けて少しずつではありますが一歩一歩先に進んでいこうとおもいます。
このブログを読んでいただいた方には花いちもんめのファンになっていただける様に日々精進していきたいと思っておりますので
ぜひともこれからも花いちもんめをよろしくお願いいたします。
それとこの会社の基礎を築いてくれた先代社長の父
数々の英断を下して会社を支えてくれた母には心から感謝申し上げます。
これからの花いちもんめを是非お楽しみに!!
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